2025/11/30

 白鳥央堂さんの「一針」と、以前白鳥さんが参加されていた「HECTOR vol.2」が、古書ソオダ水のオンラインショップに入っていた(ややこしいが、新刊委託販売)ため、注文していた。それが届いていた。
数日間ポストを見ていなかったので、おそらく到着はもっと早かったはず……。

「一針」は歌集、音数の定まった形式がことさらに呼び出される日時計と、歴史的仮名遣いが過去のひとときの表現であることと、相乗している。 いつもながら装丁も美しい。留められた時のまた異なるかたち、紙に散らされた?箔。

 HECTORにはよく氏が取り入れる散文詩の表現が数本、小詩集と冠されて、選られていた。
ゴシック体で読むのが新鮮である。
「墜落点」が非常におそろしかった。瞼のように裂けている見開き。

上記はこちらに収録されていた「某日のこどもが新しくけずられた靴底に、たくわえていた詩」のこと。
白鳥さんの過去の作品も置いてきてしまっている……。



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 なぜお笑いのネタに不自由を感じ、なぜ詩や音楽に自由を感じるのか。
隣芝って片付けては見落とすものがあるわ、そもそもお笑いは受け手の反応として「笑う」が制定されていなければ成立しないものだ、
好き放題やる選択は尊重される、笑い以外の味を潜ませたっていい、しかし、笑えなければ「お笑い」ではない。
その縛りを楽しみながらつくれるか。
私は不自由に感じている。



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