擬き記事(テーマ: 2025/8/6放送分の水ダウ)

 同棲する恋人の影響で、水曜日のダウンタウンを最近わりと見るようになりました。
企画によって色々思うことはありつつも、少なくともケチつけてやろうって感情で見ているわけではなかったと自覚していたのですが、
さっき見た今週分の放送がだいぶ身に迫る感じにキツかった……。


 今の「お笑い」を構築する社会への違和感をおぼえていてもなお、私が(まだ月2とかのペースだとはいえ)お笑い活動を続けている動機には、
単にネタづくりやライブの楽しさとか、当初の「職業としての『お笑い芸人』を経験を通じて理解したい」という目的がまだ続いているから……もあるのですが。
「自分のような人間たちが、その人格を保ったまま「お笑い」を追究していけるような、そんな土壌の生まれる可能性を、自分のような人間やその人たちによって作られるお笑いのためにも、見いだそうとしなければならない」との、やや理想論的であり遠回しには利己的でもある思考が、最近は特に強くなってきています。
ということならば、ここで感じたものも発信すべきなのでは?と思い立った……ものの、自分で書いていたら、ここまでの文章のように一方的になってしまった。


 今回は自分の文体を食わせず(以前の調整がメモリ機能に残っているかもしれませんが)、感情的な部分を抑えめにといった調整をchatGPTにやってもらってから、ちょっと内容がねじれてるなってところを直しました。
書く力よりも、全体の構成を考える力を育むのに使えるかもなあと思いつつあります。
あと、私の言葉をそのまま出すと内容が伝わりにくくなってしまう、コントの台本をつくるのとかにも?
言うてる間に、私なんかよりもよほど綺麗に書けるようになっていくのだろうが……。



 2025年8月6日放送の『水曜日のダウンタウン』で放送された「説教中でもやっぱり身の安全が第一説」を見て、少し考えさせられるものがありました。

 この企画では、若手芸人が先輩から説教を受けている最中に、大波や炎といった危険が自身に迫っても、その場から離れず説教を聞き続けられるか――といった、ドッキリ形式の検証が行われていました。

 一見するとユニークな発想の企画にも見えるのですが、このドッキリは、芸能界に通底する「上下関係の厳しさ」や「逆らいにくい空気」を前提に成り立っているようにも感じました。
私自身、駆け出しの芸人として現場に立つ中で、先輩や関係者との距離感には細心の注意を払う必要があるな、と感じさせられた経験があります。
そうした現実をほんの少しでも知っている立場としては、この企画が成立する背景には、ある種の「構造的な力関係」が存在しているように思いました。

 もちろん、「この力関係自体に目を向けてほしい」との意図が含まれていた、「水曜日のダウンタウン」という番組のフォーマットを活かした問題提起であった、その可能性はあると感じます。
ただ、あくまでバラエティ番組としての体裁を保った形で放送されたことで、そのような問題提起があったとしても伝わりづらかったのではないかとも思いました。

 バラエティにおける笑いの境界線や、その裏にある構造的な力関係について、もう少し広く対話があってもいいのではないか――そんな感覚を覚えた回でした。