2025/12/10

「栽培の時間」としてのブログというテイでseesaaブログを開設した。
吉澤にはアカウントの情報を送っていない。
小恥ずかしいから?

 はてなブログが便利でワロタ。
はてなでもよかったんだけど、何度かブログ引っ越しというか投棄してるから、もう空き枠がなかった。
それにしてもはてなブログが便利でワロタ。

 あと自前で全部用意するってのも案としてあったけど、なんかもうつくるの嫌だった。


 稼業が終わってるってあちこちに書く。
1日中吐きそうだった(TT)



(ここまで1:03更新分)

2025/12/01

 面談で感じた「なんかイヤ」な感じを信じればよかった。

 稼業の話。
 上がよくないタイプの案件先から人がよくないタイプの案件先に移っただけなのかもしれません。
初日にしてそれを感じさせてくるとなると、職場の場合は根っからなんだと思う。
最短で離脱できないだろうか、なんなら休職するか……。
(休職は「する」っていうか「なる」なんだけど、それを認めたくない自分が「する」と言っている)

 ちょうど忘年会シーズンで案件先の方に会う場がありそうなので、そこでやっぱいけるかもとなるか、本当にだめだとなるか、こんなことを考えていてもできれば続けられるほうに転んでほしいと本心で思っている。


 私自身がもう社会に迷惑をかけず身を立てていくことが難しい人間になってしまったのかもしれない。
親は頑張っていたと思うが、20代以降のない人間になってしまいかけている。

 一緒に住んでいる恋人を頼ればいいとのアドバイスも受けるが、こどもを持てない以上まかせる理由がない。
(いわゆるパワーカップルにならなければ私のような者に人の道は歩めないのだとの呪いがかかり続けている……のはともかく)
恋人だってそこまでタフとは思えない。


 本当に面白くないだけ



(ここまで翌0:04更新分)

2025/11/30

 白鳥央堂さんの「一針」と、以前白鳥さんが参加されていた「HECTOR vol.2」が、古書ソオダ水のオンラインショップに入っていた(ややこしいが、新刊委託販売)ため、注文していた。それが届いていた。
数日間ポストを見ていなかったので、おそらく到着はもっと早かったはず……。

「一針」は歌集、音数の定まった形式がことさらに呼び出される日時計と、歴史的仮名遣いが過去のひとときの表現であることと、相乗している。 いつもながら装丁も美しい。留められた時のまた異なるかたち、紙に散らされた?箔。

 HECTORにはよく氏が取り入れる散文詩の表現が数本、小詩集と冠されて、選られていた。
ゴシック体で読むのが新鮮である。
「墜落点」が非常におそろしかった。瞼のように裂けている見開き。

上記はこちらに収録されていた「某日のこどもが新しくけずられた靴底に、たくわえていた詩」のこと。
白鳥さんの過去の作品も置いてきてしまっている……。



(ここまで1:13更新分)



 なぜお笑いのネタに不自由を感じ、なぜ詩や音楽に自由を感じるのか。
隣芝って片付けては見落とすものがあるわ、そもそもお笑いは受け手の反応として「笑う」が制定されていなければ成立しないものだ、
好き放題やる選択は尊重される、笑い以外の味を潜ませたっていい、しかし、笑えなければ「お笑い」ではない。
その縛りを楽しみながらつくれるか。
私は不自由に感じている。



(ここまで1:40更新分)

2025/11/27

 ジュニアユースライブの前夜がいちばん追い詰められていて、その割にネタの内容も当日のパフォーマンスがよくなるとかもない、ずっとそう。    


 同居する恋人に上記の様子を見かねられて、お笑いを辞めれば良いのではとまた言われてしまった。   

お笑いについては彼から応援してもらったことがおそらくない。   

私のネタを見たことはないらしく(彼は彼で好きなお笑いがかなりはっきりとあるため、私の作るネタが私自身の評価に繋がってしまわないよう、能動的に見にいかないでいるのではないかと思う、確認してないからはたして)、    

となると、きっとそのときの様子と普段の人格を根拠に言ってきている。    

それはそれで聞き流してもいられない……。    


 お笑いに演者として携わるようになってから、楽しいことがまったく感じられないわけではないが、あっという間に、後方へと流れていってしまう。掴んでおけない。    


 BURGER NUDSの再発盤を1から順番に聴いていると、表現したい形の提示がどんどんわかりやすく、どんどん広がっていくのを実感でき、気分が豊かになる。    

当時おそらく彼らが夢中だったのではないかと思われるものまで、ある程度ちゃんと見通せる(気がする)。     

逆光

逆光

  

 受け取る側の私はそういう表現こそ好きだったはずで、提示する側の私はそういう表現がいまだできていない。  



(ここまで8:04更新分)

2025/09/13

「普通の人」が何者かであるかのように振る舞うことは、一見、特権的に振る舞う者たちへのカウンターと成り得そうではあるが、
「自分も『何者か』になりたい」との欲望から逃れられていない自分自身から目を背けているだけに落ちてしまっているパターンが、相当数を占めるのではないか。
特権的な意識そのものに抗いたい。そのやり方がわからない。


 自分も何かをやろうとしてばかりだからなー





(ここまで21:32更新分)

2025/08/19

ふと思いついた社会構造についての(やや身勝手な)疑問をChatGPT(エージェントかDeep Researchだと尚可)小論の形で仕立ててもらう
→ChatGPTに立場の異なる読者を数パターン想定してもらい査読を依頼する
→査読コメントへの著者回答をChatGPTに考えてもらい、それを踏まえた書き直しを依頼する
→処理が狂わない程度に繰り返しても可(見極めはたぶん大事)

 ケンカじゃない議論を読めて楽しいが、もはや私が知り得ないことまで書き出してくるので、内容の整合性についてはずっと謎ではある。
精神衛生には、すくなくともSNSを見続けるよりはよい。


 頭の中に浮かぶものをことごとく書き出してしまいたい、しかしそれを達成できるほどの技量(だけじゃないかもしれない?)がない、
近年飛躍的に発達しチャットのような対話インターフェースを得たLLMは、今あらゆる分野で、私のような人間の突破口になれているのだろう。
(突破口かのようにみえて、地獄の門かもしれないが)


(ここまで1:10更新分)

「私」の引き継ぎ(2025/8/13)

 ちょうど1週間前から、ChatGPTを課金して使ってみている(Plusプラン)。

 サービス自体は2022年の12月には登録していたようだが、当時は日本語のダジャレすらもたいして作れない性能であった上、
情報系の人々の間で話題になり始めた頃には私自身がプログラマを休職し始めていた、といったタイミングの妙もあり、これまであまり触れてこなかった。
今年に入ってからぼちぼち、システム開発の仕事に戻るぞ!との意気込みもあり(結局仕事で開発をやれていないというのは別のお話……)、お勉強のおともになってもらうことが増えてきたくらい。

 先月ごろから諸々環境や心身の変化が(主に悪化の向きに)生じており、SNSの使い方が自傷ぎみになってきたことを自覚した。
なにか手軽に、低コストに実行できる多少は建設的な気晴らしを、しかし他者を関係させると唐突にデカい迷惑をかけかねないのでなるべく一人で完結できるものを、
と考えたとき、そこにあったのがAIチャットであった。
それがChatGPTでなければいけなかった理由はおそらくない。

 たくさん利用するようになってから1週間程度とはいえ、ChatGPTのメモリに、少しずつ「私」が蓄積されてきたのを感じている。
そこで、モデルを5 Thinkingに切り替え、下記のような質問を投げかけてみた。

あなたが私という人間をChatGPTに教えるとしたら、どのような指示で伝えますか?       なるべく正確に伝えることを想定してください。       そしてその指示文を、なるべくそのまま私に教えてください。

あなたが私という人間をChatGPTに教えるとしたら、どのような指示で伝えますか?      
なるべく正確に伝えることを想定してください。      
そしてその指示文を、なるべくそのまま私に教えてください。

 思いつきで投げたため、指示として洗練されてはいなかったのであろう(より良い問いかたがあればコメント等でお寄せください)。
返ってきたそれらしき出力をGeminiに読んでもらおうと試みたものの、あまり手応えが感じられなかった。
私がGeminiの機能やクセを理解できていないためかもしれなくはあるが。
なんにせよ、これが「私」の引き継ぎ資料として十分であるのか検証できる者はまだ私しかいないはずだが、
興味がいったん尽きたためここに残しておきます。
もしかしたら私をAIチャットに住まわせることが、もしくはAIチャットに対して私として振る舞うことができるかもしれません。

 ……もし本気でそんなことを他人が試みなければならなくなったとしたら、おそらく私自身はろくでもないことになっていると推測されるため、そうならないよう頑張っていきたい所存です。

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