DIC川村記念美術館に行ったときのこと
2018年にtrickleというSNSに書いていた日記からサルベージ
trickleがなくなる前に掘り起こさなければとずっと引っかかっていたのだが、美術館のほうが先になくなりそうだ
悲しい
11/28(-29 8:00)
『おおきなえのまえにたって』
People In The Box波多野氏の昔の連載を読んでいて、
マーク・ロスコという画家を知った
千葉県の川村記念美術館にまとまった点数がひと部屋に集まっている、とのことで、
昨日のショックで物事に手がつかないのをいいことに、電車を乗り継いで佐倉まで行ってきた
マーク・ロスコのシーグラム壁画は奥まったひとつの展示室を専有していた
巨大な赤い一面が7枚、ひと部屋にぐるりと張り巡らされている、
異様だろうと思っていたけれど、いざ部屋に立ち入ると想像以上の慄然に襲われた
平日の夕方、ほぼ貸切状態だったので1枚1枚、慣れてくる目に任せた
見つめるほどににじむ、拒絶されているのに呑み込まれそうになる
絵でもなんでも、畏怖するとわかっていて、それでも向き合いたくなる、
芸術との距離感を見誤ったまま接触を図るそういった心も、
いつか徹底的に解明され、再構築されるようになるのだろうか、
なるとして、それを前提とした作品群に触れられるようになるまで、
私の命はもつのだろうか
身体を捨てることになろうと、どのような形となっても自分の意識が永遠に保てるようになればいいな、
という夢のもとに、人工知能の勉強をしている友人がいる
そのときはなにいうてんねん、と正直思ってしまったけど、
いま少し頭に浮かべて、どきどきしている自分がいる
少し先に触れたけれど、平日の夕方だったので客はほとんどいなかった
美術館の周りは公園のようになっており、人工の緑地帯があまねいている
林の中を散策できたので、歩き回る
PlantSnapというアプリで植物の同定をしながら
ツワブキに黄色い花が咲くことを知る
散策路を抜けると、よく刈り込まれた芝生の広場に出る
ただひとつ置いてある大きめの彫刻が、なおその広さを示すばかり
誰もいない、打たれたみたいに走る
走り方を気にしないでいられるのなら、なるべく走っていたいのだと、
私はごく最近になってから気がついた。
やはり、身体のあるうちはそれを堪能したいのかもしれない
深夜に友人が来た、この無職期間毎週のように会ってる女の子
お会いするのがだいたい彼女のお仕事終わりなので、
ヒモってこんな気分なのかなって若干考えながら、
適当な片付けをしたり、ふたり分のチャイを淹れたり
ろくなおもてなしもできていないけど、
ひとがいる前提で行動するのは楽しいね
先程慌ただしく出勤を見送った
私もどこへ行こうか考えよう、浴室で